常に座り心地を追求し続け、遊技機産業とともに成長して参りました。
時代によってパーラーチェアも変化してきました。そしてこの先もよりよい座り心地を求め、精進して参ります。
(上記の年代をクリックすると当時の歴史がご覧になれます)
愛知県警察部が
名古屋で自動遊技機の営業許可
戦時特別処置例で新規営業を禁止
画期的な正村ゲージ登場
現代パチンコの基本型として
現在も広く使用され、
パチンコが産業として
発展する礎に。
連発式パチンコ機の禁止令。
全国的に大打撃を受け、業界不況が到来
(全国の店数半減)。
画期的なチューリップ登場、第2期黄金時代の到来。 おそらくこの頃から、パチンコ専用の椅子が誕生する。今も存在するパチンコ椅子メーカーが初めてホールへ納品する。
電動式パチンコ機認可。
全国のパチンコ店が一万店を突破
本格的な過当競争の時代へ
スロットマシンが全国各地に登場。
インベーダーゲームの流行で
パチンコ人気にかげりが…
ドラム式フィーバー機登場。
パチンコにCR機登場。
爆発的ブームとなり第3期黄金時代の到来。
総売上が30兆を上回る(総務庁調査)。
パチンコへののめり込みによる事故多発。
競争激化、大型倒産・廃業、淘汰の時代へ。
台数規制解除(各都道府県によって誤差あり)
のため、1000台クラスの大型店が
次々と出店される2極化。
また機械に厳しい規制がかかり、
機械での他店との差別化が出来なくなる
パチンコ店 第1号 OPEN
・この頃から、お客さんがパチンコ店へ椅子を
持ち込むようになる 。
・まだパチンコ専用椅子は無い。
高山商店の歴史がはじまる
高山商店、現在の高山勝が個人で丸型椅子、折りたたみ椅子、会議テーブル、ドーナツ椅子を始める
合資会社設立
当時、サウナ、喫茶店、食堂椅子、そして今の基盤となるパーラーチェアを始める
床下固定式の際、ホール内を洗練に見せる為、この当時からデザイン性を意識し始めた
高山商店が日本で始めて、床固定式の椅子を東京の展示会にて発表する。新橋のパチンコホールへ納品。
これが大ヒットし高山商店の名が一流メーカーとして業界に知れ渡る。
名古屋デザイン博パチンコパビリオン館に「タカヤマのパチンコイス」設置協賛。
現在の基礎となるオフィス用チェア(事務椅子)がパチンコ椅子として登場(一気に普及しました)。
高機能商品が発売され、
少しずつ売れ始める。
パーラーチェアのパイオニアとして従来のこだわりを残しつつ、斬新なアイデアを盛り込み新製品づくりに奮闘する